2018年2月。
京都に行ってお寺巡りをして節分のイベントに参加しようとか、あるいは富山・福井方面に行って雪景色の撮影をしようとか企んでいたのですが、個人的な懐事情の問題で我慢することに。
また、FUJIFILM X100Fの出番がなくなってしまっていたということもあって、X100Fを愛でるべく、江戸東京たてもの園というところに行ってきました。
というわけで、本稿では、江戸東京たてもの園(西ゾーン)について紹介します。
綱島家(農家)で節分イベント
まず最初に、綱島家を紹介します。綱島家は江戸時代中期に建てられた農家の建物です。
僕が訪れた日は節分のイベントが行われていました。狙って行ったわけではないのですが、久しぶりに豆まきをやってみようと思い、節分イベントに参加しました。
豆が入ったマスを渡されました。
マスには江戸東京たてもの園のロゴが。
江戸東京たてもの園の職員の方にレクチャーを受けながら、綱島家で実際に行われていた方式で豆まきを行いました。
ちなみに、こちらの家では男性が豆まきをしたそうです。そして掛け声は「鬼は外。鬼は外。福は内。」という掛け声だったとか。
子供達は実に楽しそうにまいてました。
豆まきを終えると、綱島家の中で少し暖をとりました。
囲炉裏…実に渋いですね。
吉野家(農家)
続いてやってきたのは、綱島家の北西にある吉野家です。吉野家も綱島家と同様、農家です。
吉野家や、江戸時代後期に建てられた農家で、もともとは現在の三鷹市に所在していた建物です。当時は幕府と尾張徳川家の鷹場になっていて、江戸時代の中頃から開発が進められた地域です。
付け書院が備わっている奥座敷です。
綱島家と比べると、かなり裕福だったのではないでしょうか?
この時期の囲炉裏はいいですね。
八王子千人同心組頭の家
続いてやって来たのは、八王子千人同心組頭の家です。
八王子千人同心は、八王子で甲斐との国境を警備するために配備された武士団のことです。
武士とはいえ、平常は農耕を営んでいました。
風呂場ですが、冬は隙間風がすごくて辛そうですね。
興味深かったのはトイレです。
右の個室はわかるんですが、左側の便器は本当にこんな感じだったのでしょうか??
前川家
こちらは、1942年(昭和17年)に品川区上大崎に建てられた住宅です。
前川國男氏は、公共建築を中心に多くの作品を残した方です。東京文化会館や東京都美術館が代表的です。
1973年(昭和48年)に解体され、部材として保管されていたそうですが、江戸東京たてもの園内で復元され、1956年(昭和31年)に改修される前の姿に戻されています。
入り口は北側にあるので、ぐるーっと回る必要があります。
吹き抜けの居間
吹き抜けになっているので非常に天井が高く、開放感を感じることができます。
残念ながら、階上へは立ち入り禁止でした。
バスルーム
この階段の後ろにある通路を進んでいくと、キッチン、そしてバスルームと寝室があります。
トイレや浴槽は現代の物?という印象です。
おそらく、昭和30年代って、デジタルな湯沸かし器なんてなかったんじゃないでしょうかね??
書斎
続いて、書斎へと足を運んでみました。
SONY製のテレビが時代を感じさせます。
田園調布の家(大川邸)
1925年(大正14年)に、現在の大田区田園調布に建てられた住宅です。
こちらの建物は、全室洋室でした。
ピアノがあるんですからね、驚きです。相当な富裕層だったのではないでしょうか…
ダイニングもこれですからね。
最後に
節分イベントは、全く想定していなかったのでちょっとしたサプライズでした。外国人観光客も楽しんでくれているようでした。
これで西ゾーンを見終えたわけですが、正直、見応えがありすぎて残り時間が少なくなってしまいました。江戸東京たてもの園を訪れる際には、早めに行くことをおすすめします!
なお、今回紹介した建物以外にも、
- 小出邸
- デ・ラランデ邸
といった建物があるのですが、こちらは現在修復工事中とのことです。小出邸は2018年3月に、デ・ラランデ邸は2018年2月に工事が完了予定とのことです。工事期間中は、建物の見学ができないのでご注意下さい。
それではー!
最後までご覧頂きありがとうございました。
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