今日もアジアの片隅で

「旅」と「写真」をメインテーマにしてます。

好きな泡盛の銘柄は「残波」なので、残波岬に行ってみた!

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※2017年10月28日更新

2016年6月某日。

スカイマークを利用して、初めて沖縄に行ってみました。

SKY511便搭乗記はこちら

古宇利島を一周した後、陽が傾き始めてきたため、夕日を眺めるのに適した場所に行ってみようと思いました。

地図を眺めていると、泡盛の銘柄にもなってる名前の岬を発見!その岬に向かって車を発進させました。

本稿では、残波岬を紹介します。

泡盛の銘柄にもなってるあの岬へ

先ほども書きました通り、残波は泡盛の銘柄にもなっています。

古宇利島を出発し、許田ICから沖縄自動車道に乗り、石川ICで下道へ。

県道73号線→国道58号線→県道6号線と走り、残波入口の交差点を右折し、そこから道なりに北上すると、残波岬に到着です。

地図上で示すとこちらになります。

泰期像

早速、駐車場から岬の方へと歩いて行ってみると、泰期像が出迎えてくれました。

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で、この方はどんな功績の持ち主なのか?ちょっと調べてみました。

一言で言うと、

琉球王朝時代初の進貢使として中国に渡り、大交易時代の幕をあけた英雄!

読谷村観光協会のウェブサイトから引用

だそうです。詳細はというと、

1372年琉球王朝時代、時の中山王「察度王」の命を受けて初の進貢使(明・清皇帝への進貢のために、中国に派遣される使者)として、初めて中国へ派遣されました。

読谷村の豪族であった泰期は中国の文物を琉球王国に正式ルートで導入した先駆者でした。その活躍は沖縄の一番古い歌謡集「おもろさうし」に謡われ、「読谷まつり」2日目「創作進貢船」の主役となってます。

当時の船旅は、生命の保障の無い危険な旅路であり、特に「唐旅」は「あの世への旅立ち」を意味する程に厳しいものであった。その唐旅を5往復もした「泰期」が並の人間で無かったことは想像するにたやすいことである。

読谷村観光協会のウェブサイトから引用

ちなみに、この像は中国方面を指差しているそうです。

さて、その泰期像から岬へと向かっていきます。

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広がる二時間ドラマの風景

ところで、前稿でお伝えしたように、Nikon FEにここで悲劇が訪れました。

ええ。そうなのです。フィルム交換の作業中に、フィルムが切れてしまったのです…

自分のミスで招いたことなので、自己責任なのですが、なんとも悲しい出来事でした。

さらに、Nikon FEにつけていた接眼レンズとアイピースも紛失するという二重苦まで。

残念すぎてなりません。

そんな悲しい思いを抱きながら、このような場所を訪れると、思わず身を投げてしまいそうな…

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気持ちにまではなりませんけどね。

身投げというより、犯人として追い詰められているような気分になります。

残波岬灯台

さて、先ほどの崖の写真は灯台とは逆側の風景なのですが、灯台側の風景は夕陽がよい演出をしてくれまして、なかなか良い情景を撮影することができたなと思っております。 f:id:tidus_tabilog:20200922161256j:plain

この残波岬灯台は上ることができるようです。

ですが、僕が訪れた時間帯は、すでに営業時間が終了していたので入ることはできませんでしたが…

晴れていれば、粟国島、渡名喜島、久米島なども見えるそうです。

最後に

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フィルムがパァになってしまったのは残念でしたが、良い教訓になりました。

保険としてデジカメも持って行って正解でした。

もう少しコンディションの良い時に、夕陽に照らされる残波岬と灯台の絵を撮影しに、また訪れたいです。

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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