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京都弾丸浪漫譚:第六幕 禅の世界への誘い…源光庵に行ってみた!

禅寺・源光庵

正式名称は、「鷹峰山寶樹林源光庵」というそうです。
源光庵は、もともとは臨済宗のお寺だったそうなのですが、途中で曹洞宗に変わったとのこと…

臨済宗も曹洞宗も同じ禅宗ですが、坐禅の仕方が異なります。
臨済宗は壁を背にして坐り、曹洞宗は壁に向かって坐ります。以前、坐禅会に行って坐ったことがあるのですが、そちらのお寺では臨済宗でしたので、壁を背にして坐りました。

禅への誘い

話が逸れてしまいますが、坐禅会に参加した時の話です。当時の僕は、色々と悩みを抱えていて、精神的にちょっと参っていた時期でした。坐ることで、何かを得られるんじゃないかと思い、参加したのです。ですが、坐禅が終わった後の住職の話を聞いて、金槌で頭をぶん殴られた気分になりました。
「悟りを啓くつもりで坐っているうちは、悟りは啓けないといいます。悟りを啓くことを目的としていてはいけません。目的を持たず、ただ、ただ坐るのです。」
この言葉を聞いて、僕は、「只管打坐」という禅語を思い出しました。
そうか、悩みを晴らそうと思って坐っているうちは悩みは晴れないのか、と。

 

そんなわけで、禅には大変興味がありましたので、
禅寺である源光庵は是非とも訪れたいお寺の一つでした。
源光庵本堂


ここを右に行きますと事務所がありますので、そちらで拝観料を支払います。

「悟りの窓」と「迷いの窓」


源光庵の代名詞とも言える2つの窓があります。
それが、「悟りの窓」と「迷いの窓」です。

悟りの窓

悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。
源光庵のパンフレットより引用

迷いの窓

迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。
源光庵のパンフレットより引用

血天井

血天井の写真もあれば掲載したかったのですが、
残念ながら撮影を忘れるという、いわゆる「やってしまった」というものでございます。
ですので、説明文だけ記載しておきます。
また源光庵へ行った際に撮影してきます!
本堂内の血天井は、伏見桃山城の遺構であり、慶長五年七月(1600年)徳川家康の忠臣・鳥居彦右衛門元忠一党千八百余人が、石田三成の軍勢と交戦したが、武運拙なく討死し、残る三百八十余人が自刃して相果てたときの恨跡である。
源光庵のパンフレットより引用

今回訪れたところ(まとめ)

初めて訪れましたが、実に素晴らしいお寺でした。僕自身、禅に興味があった、ということもありますが、窓を見ながらずっと坐っていたいという気持ちにさせられます。
また、こんな記事を見つけました。
どうやら一時期撮影が禁止になっていたようです。
JRのCMの影響力、半端じゃないですね…
一概に撮影マナーの問題だけとは言い難いようですが、
撮影する際には周囲への配慮を忘れないように心がけたいものです。
自分自身も戒めます。
タグに「聖地巡礼」というタグをつけておりますが、その理由は次回、明らかにします。

源光庵

 

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