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FUJIFILM X100Fを持って、日本100名城No.19『川越城』に行ってきました

f:id:tidus_tabilog:20201009161847j:plain 2018年8月。

以前、こちらの記事でも紹介しましたが、『日本100名城に行こう』という本を買いました。

次なるスタンプを求めて、今回は埼玉県川越市にある川越城に行ってまいりました。

というわけで、本稿では川越城を紹介します。

(なお、弊ブログでは初の「埼玉県」のカテゴリー記事になります(笑))

川越城

川越城はどんなお城なのでしょうか?『日本100名城に行こう』によると、以下の通り説明がされています。

川越城は扇谷上杉氏の家宰太田道真・道灌父子が築城したことにはじまる。江戸入府後、この城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させた。

川越城本丸御殿は、東日本で唯一の本丸御殿です。

江戸時代、本丸御殿の建物面積は1025坪(3388平方m)にも及んだそうで。残念ながら、現在では、本丸御殿の玄関部分と大広間・家老詰所を残すのみとなっています。*1

そんな川越城の場所を地図上で示すとこちら

東武東上線・JR線「川越駅」で降りまして、バス1番乗り場から発車している「神明町車庫行き」に乗車し、「札の辻」で下車します。

そこから歩いて8〜10分ほどで川越城本丸御殿に到着します。

ちなみに、「札の辻」は、蔵作りの町並みがあるところです。

テレビなどでよく見る「川越」の風景を楽しむことができます。休日は観光客の姿ばかりですけどね(笑)

川越城中ノ門堀跡

さて、札の辻から東進していくと、川越城本丸御殿の前に川越城中ノ門堀跡があります。 f:id:tidus_tabilog:20201009162218j:plain

1590年、豊臣秀吉が関東攻略の際に川越城は前田利家によって落城してしまいます。

そのような歴史的な背景があって、江戸時代では重要な守りの拠点とされました。

1639年、松平信綱が川越藩の藩主となった際に、大規模な改修工事を行います。中ノ門堀はその際に造られたものと考えられています。 f:id:tidus_tabilog:20201009162224j:plain

この門を潜っていくと、中ノ門堀跡をみることができます。 f:id:tidus_tabilog:20201009162230j:plain

中ノ門堀の当初の規模は、深さ7m、幅18m、東側の法面勾配は60度、西側30度です。

当初の規模よりは落ち着いてしまっているように見えますが、それでも結構な深さと勾配です。

この上から矢の雨を降らされたらたまったものではありません。

川越城 本丸御殿

さて、中ノ門堀からもう少し東に進むと、川越城本丸御殿に到着します。 f:id:tidus_tabilog:20201009162706j:plain

佐倉城址公園を訪れた際の記事にも書きましたが、お城というと石垣の上に複数階の建物をイメージしてしまいますが、川越城はそのようなタイプのお城ではありません。 f:id:tidus_tabilog:20201009162712j:plain

ご覧の通り、大きなお寺のような建物です。

入り口で下足を脱いで建物内に入ってきます。

玄関を上がってすぐ左手に受付があり、入場料100円/大人を支払います。日本100名城のスタンプもこちらにあります。

大広間(36畳)

先ほどはすっ飛ばしてしまいましたが、玄関を上がるとまず目に飛び込んでくるのが大広間です。 f:id:tidus_tabilog:20201009163038j:plain

この大広間は、城内の会議を行うときに使用されたそうです。

広さは実に36畳!! f:id:tidus_tabilog:20201009163043j:plain

柔道の回転受け身でもやりたくなってしまいます。(やりませんでしたけど…)

順路に従って、本丸御殿内を見学していきます。

家老詰所

敷地内には、離れのようになっている建物があります。この建物が家老詰所という建物です。 f:id:tidus_tabilog:20201009163125j:plain

こちらの建物は、若干薄暗かったのですが、この薄暗さがまた雰囲気を出してきます。 f:id:tidus_tabilog:20201009163131j:plain

建物の一番奥には、家老詰所十畳という部屋があります。

建物内を見学している際、

座ってる人がいるな〜

と思って特に気にしていなかったのですが、その部屋に行った瞬間、少々驚いてしまいました。 f:id:tidus_tabilog:20201009165648j:plain

座っていたのはこの方々だったのです。

当時の家老たちでしょう。

これは、江戸湾警備について相談しているシーンをイメージして展示がされています。

江戸後期、川越藩は三浦半島にも領地をもっていたそうで。そのため、沿岸警備を命じられたというわけです。

ペリーが浦賀に来航した後は、新たに建設された品川台場に警備の変更を命じられました。

わらしべ唄発祥の地「三芳野神社」

川越城本丸御殿の向かいには、三芳野神社という神社があります。こちらは埼玉県の文化財に指定されています。 f:id:tidus_tabilog:20201009165653j:plain

こちらの神社、わらしべ唄の「とうりゃんせ」発祥の地だとのことです。 f:id:tidus_tabilog:20201009165729j:plain

最後に

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最後に紹介した三芳野神社の敷地内には、「川越城の七不思議」と書かれた立て札が置かれています。

内容まで丸々書くのは憚れるので、七不思議のタイトルだけ記載しておきます。

  1. 霧吹(きりぶき)の井戸
  2. 初雁(はつかり)の杉
  3. 片葉の葦
  4. 天神洗足(みたらし)の井水(せいすい)
  5. 人身御供(ひとみごくう)
  6. 遊女(よな)川の小石供養
  7. 城中蹄の音

なかなか興味を惹かれるタイトルばかりだと思います。

気になった方は、是非とも川越城本丸御殿と三芳野神社を訪れて実際に読んでみて下さい!

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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