2018年12月。中央自動車道をかっ飛ばして日本100名城の一つ、No.22の「八王子城」にいって行って参りました。
目的は、日本100名城のスタンプをゲットすることです。
日本100名城のスタンプラリーについてはこちらの2冊をご覧ください。
というわけで、本稿では「八王子城」を紹介します。
八王子城
八王子城は、現在の東京都八王子市に位置しています。住所でいうと元八王子町という場所になります。
現在も八王子市内にあるのに「元八王子」って何やねん!
とツッコミたくなる方もいらっしゃるのではないでしょうか?(笑)
元々は元八王子町あたりが八王子の中心地(城下町)として栄えていたそうです。
ですが、八王子城が落城後、城下町が現在の八王子の中心部に移されることになりました。その為、「元」となっているようです。
そんな八王子城跡の場所を地図上で示すとこちらになります。
地図でご覧いただくとお分かり頂けるかと思いますが、非常に不便な場所にありますので、車で行くのが便利かと思います。(一応、路線バスは通っておりますが…)
駐車場は無料の駐車場がありますが、入出庫可能な時刻が限られておりますので、注意が必要です。
また、八王子城は山城ですので、もし本丸跡なども実際にご覧になる場合にはちょっとした山道を登ることになります。服装などにもご注意ください。
八王子城のスタンプ設置場所
八王子城のスタンプが設置されている場所は、2箇所あります。
- 八王子城管理棟前
- ガイダンス施設
の2箇所です。
ただ、年末年始は注意が必要です。
今回訪れたのは、年末年始の期間だったのですが……
先ほど紹介した2箇所とも閉館しており、このような封筒の中にスタンプが押された紙が大量に用意されておりました。
日本100名城のスタンプラリーのルールでは、
スタンプ欄に直接押すのが原則です。他の紙に押したスタンプを貼るのは無効になる場合があります。
とされています。
無効にならないかが心配です(笑)
御主殿跡と冠木門
先ほどの日本100名城の書籍内の八王子城のページをめくると大きく掲載されている写真があります。
それが冠木門の写真です。
そのせいか、八王子城と聞くと真っ先に冠木門をイメージするようになってしまいました(笑)
八王子城は山城なので、本丸跡は山頂にあるのですが、冠木門と御主殿跡は山の麓にありますので、本丸跡を見に行く前に見学して行くとよいかと思います。
竹林を尻目に奥へと進んでいきます。
途中、「一級河川しろやまがわ」という標識が立てられているのを目にしましたが、ご覧の通り、奥にある川には水は全く流れてませんでした(笑)
もっとも、さらに上流の方に行くと水がありましたが。
こちらの橋を渡ると、御主殿跡と冠木門があります。
こちらが先ほど紹介した冠木門です。
こちらの冠木門はもともとあった門ではなく、当時をイメージしやすいようにということで建てられたものだそうです。
この冠木門を潜ると、御主殿があった広場になっております。
御主殿は城主であった北条氏照が執務を行っていたと考えられています。
さまざまな遺構が発見されており、また中国の磁器類の破片や国産の陶器、鉄砲弾をはじめとする武器・武具類などの遺物も発見されています。
もっとも、ご覧の通り建物が復元されているということはなく、跡が残されているだけとなっています。
本丸を目指して登山
先述した通り、八王子城は山城でしたので、本丸は山の上に建てられておりました。
せっかく八王子城に来たのですから、本丸跡も見ていこうと思い、山を登ってみることにしました(笑)
ここが入口です。
本丸へは、八王子神社へ参拝する経路と同じですので、「八王子神社」あるいは「本丸跡」と書かれた案内板に従って歩いていけば到着できます。
途中、金子丸といった曲輪や柵門跡といった史跡を見ながら、本丸跡がある山頂を目指します。
ようやく八合目です。あと一息と思ったのですが、ここからが長かったです(笑)
ぜーぜーはーはー言いながら、ここから更に登ってまいります。
かなりしんどかったです。
八王子神社
ようやく、八王子神社に到着しました。
社はかなり傷んでおりました。
松木曲輪
八王子神社の隣には松木曲輪と呼ばれる曲輪があります。
松木曲輪とは、中山勘解由家範が守っていたといわれている曲輪で、中の丸とも二の丸とも呼ばれていました。
1590年に前田利家の軍勢と奮戦し、敗れております。もっとも、この時の家範の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、家範の遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老にまでなったそうです。
この松木曲輪からの眺望は素晴らしく、小さいながらもスカイツリーを見ることができました。
小宮曲輪
八王子神社から本丸跡に向かうルートと小宮曲輪に向かうルートがありますが、本丸跡に行く前に、まずは小宮曲輪を紹介します。
小宮曲輪は、狩野一庵が守っていた曲輪で、三の丸とも一庵曲輪とも呼ばれていました。
1590年に上杉景勝の軍勢の奇襲に遭い、落とされたといわれています。
現在では、ボロボロの小屋と狛犬が設置されているだけです。
本丸跡
最後に本丸跡です。本丸跡は先ほどの八王子神社から更に上に登ったところにあります。
ご覧のとおり、狭い場所だったため、大きな建物はなかったと考えられています。
また、八王子城は完成する前に豊臣軍によって1日で落とされております。
改めて豊臣秀吉という人の凄さを実感させられました。
最後に
今回訪れたのは冬でしたが、秋の紅葉のシーズンに訪れたらもっと綺麗だったろうなと思いました。
ですので、もし八王子城へ行ってみたいと思った方は、秋をオススメします!
それではー!
最後までご覧頂きありがとうございました。
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