2019年の8月のことですが、青春18きっぷを利用して、兵庫県内の日本100名城と続日本100名城めぐりを完成させようと思いまして、兵庫県を訪れてまいりました。
朝イチの便で神戸空港まで飛びまして、三ノ宮駅まで移動。そこからJR線に乗って、兵庫県内の日本100名城と続日本100名城めぐるという計画です。
既に姫路城と明石城は攻城済でしたので、今回はこの2城以外の城ということになります。まず最初に訪れることにしたのは、赤穂城です。
というわけで、本稿では赤穂城について紹介いたします。
日本100名城No.60「赤穂城」
まずは簡単に赤穂城について紹介いたします。
赤穂城の概要
赤穂城は、浅野長直が1648年から改修を始め、近世の城郭として整備しました。
区分上では「平城」とされておりますが、海を背にしていたことから「海城」にも区分されるそうです。
海城に区分される城はなかなかないのでレアな存在だと思います。
ちなみに、日本100名城で海城に区分されている城はあと2つありまして。No.77「高松城」とNo.79「今治城」がそれです。それぞれを訪れた際の記事はこちら。
「赤穂」と名から、赤穂浪士を思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、まさに、浅野内匠頭(浅野長矩)の切腹や大石内蔵助らによる吉良上野介の討ち入りを描いた『忠臣蔵』にゆかりのある城です。
赤穂城の場所
赤穂城の場所を地図上で示すとこちらになります。
冒頭でも述べた通り、今回はJRを利用して訪れました。
赤穂駅で下車しまして、そこから路線バスに乗って赤穂城に行きましたが、帰りは赤穂城から駅まで歩いてみました。この後の旅程の都合上、往路はバスを利用しましたが、駅から城跡までは歩ける距離ですので、赤穂の街並みも楽しみたい方は徒歩で行かれるとよいでしょう。
赤穂城跡
それでは、城跡を紹介してまります。
三の丸隅櫓と大手門
こちらの櫓は、1955年に再建されたものです。
日本100名城の書籍内に掲載されている写真と同じアングルで撮影してみました。
櫓の左の方には大手門がありまして、枡形になっております。この枡形を通って進んでいきますと、後に紹介する大石神社にたどり着きます。
大手門近くにはお城をイメージしたポストが設置されておりました。
本丸門
天守台
本丸内には天守台が築かれてましたが、天守閣が築かれることはなかったそうです。
天守台には登ってみると、そこそこの広さがありました。
本丸門の方を眺めてみましたが、こうしてみると赤穂城ってかなり広かったということがわかります。
刎橋門
刎橋(はねばし)門
刎橋とは、江戸時代の日本に存在した架橋形式だそうです。
厩口門
水手門跡
城郭の南側に位置する水手門跡です。
ここに米などの物資が運ばれていたようです。
門跡の後ろにある建物は米蔵跡休憩所と呼ばれていることから、ここに蔵があったのでしょう。
歴史博物館
城跡の近くには蔵の形をした歴史博物館があります。
常設展示として4つのテーマが展示されております。
- 塩づくりの歴史に関する展示
- 赤穂城と城下町に関する展示
- 赤穂義士に関する展示
- 旧赤穂上水道に関する展示
大石神社
先ほども少し触れましたが、赤穂城の敷地内には大石神社という神社があります。
「大石」と名のつくとおり、大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士を祀った神社です。
『忠臣蔵』の討ち入りのシーンでもお馴染みの格好をした像があります。
現在は、赤穂浪士だけでなく、赤穂藩主であった浅野氏やその後赤穂藩主となった森氏も合祀されているそうです。
最後に
というわけで、『忠臣蔵』にゆかりのある城、赤穂城の紹介でした。
写真を見返していて、改めて非常に広大な敷地に築かれた城だったと感じました。この時は旅程の関係もあったため、城跡のみを見て駆け足で次の城へと向かってしまいましたが、赤穂浪士ファンには見応えのある場所だと思います。
大石神社内に設置されている義士史料館もゆっくりと見るべきだったのでしょうが、次の城へ向かうべく駅へと急いでしまいました。
次の城についてはまた稿を改めて紹介します。
それではー!
最後までご覧頂きありがとうございました。
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