2020年11月に、ようやく東京発着もGOTOトラベルの適用対象となったこと、そして、e-JALポイントが11月に失効してしまうということもありまして、JALパックを利用して島根県へと行ってまいりました。
まずは津和野城を訪れましたが、津和野城の次は浜田城という城を訪れることにいたしました。
というわけで、本稿では続日本100名城No.170「浜田城」について紹介します。
続日本100名城No.170「浜田城」
浜田城は1620年〜23年に築城されたとされる城です。ここは長州毛利氏と接する地だったため、山陰地方の要地でした。
標高約67mの亀山の山頂に築かれた浜田城は、平山城に区分されますが、海城とも呼ばれています。
天守は建てられておらず、その代わり三重櫓が建てられておりましたが、実質的な天守として扱われていたようです。
古田氏→松平氏→本多氏→松平氏がと城主が変遷していきましたが、1866年に起きた第2次幕長戦争の際に、長州軍の攻撃で落城し、その歴史を終えました。
浜田城の場所・アクセス
浜田城の場所を地図上で示すとこちら
公共の交通機関で行く場合、JR山陰本線の浜田駅からバスに乗り継いで最寄りの「商工会議所前」まで行けますが、徒歩で行く場合には20分ほどかかります。
車で行く場合、近くにある浜田資料館の駐車場に停めることができます。
今回はレンタカーを利用しての城めぐりだったので、浜田資料館の駐車場に駐車させていただきました。
浜田城跡の様子
というわけで、駐車場から登城開始です。
ご親切に、駐車場に案内が立てられておりました。
浜田護国神社
駐車場から登ってきますと、浜田護国神社の境内に着きます。
スタンプは浜田護国神社の社務所内に設置されておりますが、城跡に行く場合はお社の右側にある小道を進んでいくことになります。
城門
こちらの門、元々は津和野城の門だったのですが、明治になってから浜田県の設置に伴い、県庁舎の門として移設されました。
つまり、浜田城の門ではないのです。
浜田県が島根県に合併されて以降も役所等の正門として用いられてきたのですが、昭和42年(1967年)に島根県から浜田市に譲渡され、移築され、現在に至っています。
門をくぐって、階段を登り進んでいきます。
二ノ門と二丸
三丸を抜けて行き、二ノ門があったと考えられている場所に辿り着きます。
ここには櫓門が設置されていたのではないかと考えられています。この城唯一の枡形虎口が採用されており、守備の要として位置付けていたようです。
虎口を抜けると二丸があり、奥には本丸へと続く階段があります。
本丸跡
本丸へ続く階段です。この階段を登ると……
本丸跡に到着です。
本丸というとあまり広いイメージがありませんが、浜田城は本丸が一番広い曲輪でした。
松原湾・外ノ浦
本丸の奥に行くと、松原湾や外ノ浦を眺めることができます。
奥の入江が外ノ浦です。外ノ浦は1672年以降、瀬戸内方面と北陸方面を結ぶ中継点として、浜田藩最大の港として栄えました。米や塩、砂糖などが輸入され、一方で麻の皮や干鰯(ほしか)、鉄などが輸出されておりました。
ちなみに、外ノ浦は2018年に北前船寄港地として日本遺産に認定されております。
最後に
以上、続日本100名城No.170「浜田城」を紹介いたしました。
今回は100名城スタンプ最優先だったため、浜田城を見終えた後は次の目的地へと出発してしまいましたが、港町でしたし、魚料理を食べたかったですね…
それではー!
最後までご覧頂きありがとうございました。
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