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山陰唯一の現存天守、日本100名城No.64「松江城」に行ってきました

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既に死語になりつつあるGOTOトラベルを利用して、2020年の11月に、JALパックで予約をとりまして、島根県へと行ってまいりました。

この時の旅程では、1泊2日で島根県内の日本100名城を廻りきるというスケジュールを立てていたので、レンタカーを利用しました。

1日目は、津和野城と浜田城で時間切れとなってしまったため、2日目に残り2城を廻るという計画です。

2日目の最初は、松江城からスタートです。

というわけで、本稿では日本100名城No.64「松江城」を紹介します。

日本100名城No.64「松江城」

松江城の築城は1607年に、堀尾吉晴が入封して築城した城です。現存天守12城のうちの1城です。

関ヶ原合戦後に築城された城ですが、天守内部での戦闘を想定した防御策が採用された実戦的な城です。

松江城の場所を地図上で示すとこちら

松江城の南東側に駐車場がありますが、混雑しやすく、入庫するまでに時間がかかります。

一方、城の南側にある県庁の駐車場が土日には開放されており、比較的空いておりますので、車で行く際には県庁の駐車場がお勧めです。

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今回は県庁の駐車場にレンタカーを駐車して登城しました。

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櫓を眺めながら大手門へと向かいます。

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太鼓櫓の右の階段を登ると、左手には二の丸が、正面に向かってそのまま進むと入城券の券売所があります。

天守閣

券売所で券を購入し、天守閣へと向かいます。この時はCOVID-19対策として、氏名等の個人情報の提供を求められました。

手続きが終え、天守閣に登上します。 f:id:tidus_tabilog:20201210171509j:plain

さすが現存天守のお城ですね。非常に雰囲気があります。

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天守閣内は博物館になっており、甲冑などの資料が展示されています。

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最上階では、松江城周辺を見渡すことができます。

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宍道湖も眺めることができますよ。

興雲閣

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松江城の二の丸には興雲閣という建物が残っています。興雲閣は、1903年に松江市によって建築された建物です。

当初は、明治天皇の行在所に使用する目的でつくられたのですが、結局その目的で使用されることはありませんでした。が、1907年5月22日から25日までの間、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓の御旅館として使用されました。

その後、改修が行われ、各種の展覧会場・会合等に使用され、1973年以降は「松江郷土館」として活用してきましたが、2011年3月に閉館しております。閉館後、保存修理工事が施され、現在は一般に開放されています。

興雲閣の場所を地図上で示すとこちら

せっかくなので、見学していくことにしました。

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二階へと続く階段は明治〜大正を彷彿とさせます。

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武家屋敷

松江城の北側には武家屋敷があります。

武家屋敷の場所を地図上で示すとこちら

1733年の大火で焼失してしまいますが、その後再建されております。

現在の姿は、2016年度から3カ年に及ぶ保存修理工事によって明治期の図面をもとに復元されたものになります。

長屋門及び中間部屋

f:id:tidus_tabilog:20210119163243j:plain 武家屋敷の特徴のひとつに長屋門がありますが、松江の武家屋敷でも長屋門が採用されています。

こちらの長屋門をくぐると、券売所があるので、入場券を購入して屋敷内を見学していきます。

f:id:tidus_tabilog:20210119163249j:plain こちらは、門番や中間(ちゅうげん)の住居として使用されていました。

中間とは武家奉公人のことです。屋敷に出入りする人の監視や案内などの雑務を行っておりました。

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母屋入り口

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母屋入り口では侍の人形がお出迎えしてくれます。

こちらで靴を脱いで母屋へと入っていきます。

座敷

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当主が来客を迎える部屋です。格式を重んじた造りが採用されています。

f:id:tidus_tabilog:20210119163317j:plain 九曜紋の釘隠しです。

家族部屋

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母屋の北側は、家族部屋として、私生活の場に利用されていました。なお、こちらの家族部屋は明治期に増築されたものだそうです。

当主居間

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当主居間は座敷とは対照的に遊びごごろのある造りが採用されています。例えば、座敷では釘隠しに九曜紋が採用されていましたが、当主居間ではふくら雀の釘隠しが採用されています。

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当主居間を抜けて、母屋の裏側をまわっていきます。

奥方居間

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こちらは奥方居間です。鏡などの調度品が置かれており、当時の武士の配偶者の生活を伺い知ることができます。

台所

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台所の中心に土釜があるのは珍しいなと感じました。火を使うわけですから、排煙のために壁側に設置するのがセオリーなのかなと思っておりましたので。

茶室

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松江藩第7代藩主の松平治郷は「不昧」と呼ばれ、大名茶人として知られておりました。

そのため、藩内の町民にも茶道が普及したようです。現代の松江にも残っており、多くの家庭で日常的にお茶が楽しまれており、和菓子の消費量は全国でもトップクラスです。

おまけ

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おまけです。武家屋敷から駐車場に戻る際に、お堀を歩いていたところ、水の中を指さして騒いでいる方々がおりました。

何かな?と思って覗いてみたところ……

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上の写真中央に写っている物体、お分かり頂けますでしょうか?

そうです。エイが泳いでいたのです。あとで調べてみたら、松江城のエイは有名みたいですね。数年前から観測されているという情報がありました。

最後に

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というわけで、日本100名城No.64「松江城」を紹介いたしました。

さすが現存天守の城というだけあって、歴史や趣のある城でした。

ところで、本文では触れませんでしたが、松江城には曰く付きの話もあります。それは人柱を採用したという伝説です。小泉八雲の『神々の國の首都』にて、松江城に関してそのような記述がされています。

にわかには信じがたい話ですけどね。

今回は時間的に余裕がなかったので立ち寄りませんでしたが、武家屋敷の近くには小泉八雲記念館もありますので、時間的に余裕がある方はそちらも訪れてみると良いかもしれません。

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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