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長野県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました!

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2019年のゴールデンウィークには、マイカーで「東北春の陣」と称して東北地方の日本100名城と続日本100名城攻城の旅を行ってきました。

その際、ホテル等の宿泊施設には一切泊まらず、ひたすら車中泊で乗り切るという荒技をやりきりました。そこで気が付いてしまったのです。

意外とイケるんじゃね?

と。

そんな中、当初、ゴールデンウィークの計画では東北地方だけではなく、信越も攻城の範囲に含めて考えておりました。しかしながら、時間の関係上、攻めることができたのは新潟県にとどまりました。つまり、信濃国である長野県は残してしまっていたのです。

そんな中訪れたチャンス。再びマイカーで、残していた信濃国を攻めることにし、全てまわり切ってスタンプをゲットしてきました。

というわけで、本稿では長野県内の日本100名城と続日本100名城攻城の旅を紹介いたします。

長野県内の日本100名城と続日本100名城

長野県内で日本100名城と続日本100名城に指定されているお城は、以下の7城です。

  • 日本100名城No.26「松代城」
  • 日本100名城No.27「上田城」
  • 日本100名城No.28「小諸城」
  • 日本100名城No.29「松本城」
  • 日本100名城No.30「高遠城」
  • 続日本100名城No.129「龍岡城」
  • 続日本100名城No.130「高島城」

実際に廻った順番は、次の通りです。

  • 続日本100名城No.129「龍岡城」
  • 日本100名城No.28「小諸城」
  • 日本100名城No.27「上田城」
  • 日本100名城No.26「松代城」
  • 日本100名城No.29「松本城」
  • 続日本100名城No.130「高島城」
  • 日本100名城No.30「高遠城」

可能であれば、一日で全て廻りきりたかったのですが、タイムアップになってしまい、最後の高遠城のみ、二日目に訪れることになりました。ところが、実際に訪れてみると一日でも十分廻り切れたかなと思っております。

いつもであれば、廻った順番に紹介していくところですが、今回は番号順で紹介してまいります。

日本100名城No.26「松代城」

まずは、長野市松城町にある日本100名城No.26「松代城」です。

松代城の場所を地図上で示すとこちら

松代城は、1560年ころに、武田信玄が北信濃を攻略するために築いた海津城が前身となっている城です。

1622年には真田信之が入封し、その後、三代藩主の真田幸道の時代に海津城から松代城へと改名されています。

現在は、国指定の史跡となっており、2004年に復元された本丸太鼓門や太鼓門前橋、本丸北不明門、二の丸土塁が残っております。

すぐ近くに無料の駐車場がありましたので、そちらに車を停めて松代城を攻城してまいりました。 f:id:tidus_tabilog:20210126105730j:plain

こちらが2004年にに復元された本丸太鼓門とその前橋です。

なかなか雰囲気があります。 f:id:tidus_tabilog:20210126105744j:plain

平城とあって、防御には水を張った堀が用いられています。

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太鼓門を潜ると、すぐに本丸跡です。 f:id:tidus_tabilog:20210126110035j:plain

本丸跡には特に建物などはなく、海津城と彫られた石碑が設置されておりました。

本丸跡を進み、太鼓門の反対側に行きますと、同じく2004年に復元された本丸北不明門があります。 f:id:tidus_tabilog:20210126110101j:plain

かつては、このあたりまで千曲川が近接していたそうです。

と、一通り廻ってみましたが、それほど所要時間はかからない城跡でした。 f:id:tidus_tabilog:20210126110206j:plain

ちなみに、スタンプの設置場所ですが、スタンプは松代城には設置されておらず、松代城の南にある真田邸という建物の前に設置されておりました。

真田邸の外に設置されているので、無料でスタンプを押すことができました。

日本100名城No.27「上田城」

次に紹介するのは、上田市にある日本100名城No.27「上田城」です。

上田城の場所を地図上で示すとこちら

上田城は1583年に真田昌幸によって建てられた城です。

現在は上田城址公園となっており、再建された櫓門と北櫓、南櫓、それから西櫓、石垣と堀が残っているにとどまります。 f:id:tidus_tabilog:20210126110300j:plain

こちらが再建された櫓門です。この両脇には北櫓と南櫓が構えられています。

ちょうど上の写真の左側に写っているのが南櫓です。

こちらの櫓門の石垣には、「真田石」と呼ばれる大きな石があります。 f:id:tidus_tabilog:20210126110318j:plain

こちらの一際大きい石が真田石です。

かつて、城主はその権威の大きさを示すために石垣に用いる石の大きさを競ったと言われております。

こちらの真田石は、真田昌幸が上田城築城の際に太郎山で掘り起こした石だそうです。

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さて、先ほどの櫓門を潜って奥へと進んでいきますと、眞田神社という神社があります。

もともとは、松平家を祀っていたことから松平(しょうへい)神社という名前だったのですが、1953年に真田氏、仙石氏、松平氏の歴代城主を合祀して上田神社と改称したそうなのですが、かつて市内にあった同名他社と紛らわしいということから1963年に眞田神社に改称したという経緯があります。

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社の横には、「真田幸村公」と彫られた牌が飾ってありました。

こちらの牌ですが、信玄公の兜松が用いられております。信玄公の兜松とは、1548年の上田原の戦いの際に、武田信玄と真田幸隆が共に兜をかけたと言われている松だそうです。

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さて、眞田神社の脇を通ってさらに奥へと進みますと、西櫓が姿を見せます。

現存櫓のうち、昔の姿を留めているのは西櫓のみだそうです。

残念ながら中に入ることはできず、外からみることができるのみです。 f:id:tidus_tabilog:20210126110629j:plain

この後、本丸跡も訪れてみましたが、城跡として残っているものはなく、いくつかの石碑が設置されているのみでした。

なお、スタンプは上田市立博物館・別館に設置されております。博物館への入館は入館料が必要ですが、スタンプの押印だけでは徴収されることなく押させてもらえました。

日本100名城No.28「小諸城」

つづいては、小諸市にある日本100名城No.28「小諸城」です。

小諸城の場所を地図上で示すとこちら

小諸城は、大井氏の鍋蓋城と支城の乙女城が前身となっていて、武田信玄が領有していたころに、山本勘助の助けを借りて縄張りを拡張した城です。

その後、豊臣秀吉の時代に仙石氏によって完成されます。

現在は、大手門、三の門、天守台、石垣が残っております。 f:id:tidus_tabilog:20210126110717j:plain

こちらが大手門です。JRを利用して小諸まで行かれた際には、大手門から見ていくのが良いかと思います。

大手門の隣には、市営の大手門前駐車場という駐車場がありましたが、僕が訪れた日は祭りの影響で封鎖されておりまして、利用することはできませんでした。こちらの駐車場を利用できるなら、懐古園前の駐車場を利用するよりも遥かに低料金で利用できる*1ので、こちらを利用することをお勧めします。

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懐古園側に駐車した場合、最初に目に入るのはこちらの三の門です。

非常に立派な門です。

ここを奥へと進んでいきますと、チケット売り場がありますので、懐古園に入場する場合は、こちらのチケット売り場でチケットを購入します。

ちなみに、スタンプを押すだけでしたら懐古園に入園する必要はありません。チケット売り場の手前にある管理事務所のある建物の入り口にスタンプが設置してありますので、無料でスタンプを押すことができます。

今回は折角だったので懐古園に入ってみることにしました。 f:id:tidus_tabilog:20210126110826j:plain

懐古園の奥には、懐古神社という神社があります。 f:id:tidus_tabilog:20210126110844j:plain

懐古神社の境内には「鏡石」と呼ばれる石が置かれております。これは山本勘助が鏡として利用していた石だそうです。

現代の鏡のようにはっきりと映るわけではありませんが、それでもよく磨き込まれた石でした。

ところで、小諸城を訪れた際に、やけにアニメのポスターを見かけました。

そのアニメとは、『あの夏で待っている』というタイトルのアニメでした。

調べてみたら、懐古園はこの作品の舞台になっているんですね。

この日は聖地巡礼に訪れている人の姿は見かけませんでしたが、青春18きっぷの利用期間になったら聖地巡礼を行うファンが増えるかもしれませんね。

話は脱線しますが、2018年に香川県の観音寺に行った際に聖地巡礼をしている方々がいらっしゃいましたっけ。

日本100名城No.29「松本城」

続いては、松本市にある日本100名城No.29「松本城」です。言わずと知れた、人気の高い城です。

松本城の場所を地図上で示すとこちら

松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が前身となっており、1593年に石川数正、石川康文の親子によって、天守と乾小天守の石垣づくりに改築されました。

五重六階の天守が現存している日本最古の城です。

どの角度からみても美しい松本城は、まさに「国宝」と呼ぶに相応しい城の一つでしょう。 f:id:tidus_tabilog:20210126110941j:plain

その為、非常に人気も高く、非常に混雑しておりました。

日本人だけでなく、外国人観光客の姿も見かけました。

今回訪れた長野県内の城では、もっとも混雑していた城です。 f:id:tidus_tabilog:20210126110958j:plain

スタンプは、有料エリア内に設置されているため、有料エリアに入らなければなりません。

ちょうどこの位置の背後にある建物の入り口にスタンプは設置されております。

ここから右手に進んでいきますと、天守に入る順路になるのですが、この時は約1時間待ち。

流石にそんなに待っている余裕はなかったので、今回はなくなくスタンプのみで撤退いたしました。

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スタンプの印影に用いられていると思われるアングルからも撮影して参りました。

いや〜、確かにどの角度から見ても美しい城です。

日本100名城No.30「高遠城」

日本100名城、最後の城は伊那市にある日本100名城No.30「高遠城」です。

高遠城の場所を地図上で示すとこちら

高遠城の築城者および築城年はわかっておりませんが、武田信玄が高遠頼継を攻略後、1547年に改修したと考えられています。

その後、織田信長によって落城され、江戸時代には徳川家康の譜代大名が居城とした城です。

現在は高遠城址公園となっており、石垣や土塁が残っているものの、建造物はほとんど残っていません。

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こちらは本丸跡です。

現在は桜の木が何本も植えられているようで、春には見応えのある光景になるそうです。

残念ながら、梅雨の真っ只中だったため、桜の鮮やかな光景を見ることは叶いませんでしたが、それでも深緑の光景は癒しを与えてくれました。

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本丸跡の奥にある太鼓櫓です。

昔は、この太鼓櫓に置かれていた太鼓を叩いて、人々に時間を知らせていたそうです。

戦後は高遠高等学校で時刻を知らせる際に使用されていたそうですが、現在は歴史博物館に移され、保管されています。 f:id:tidus_tabilog:20210126111323j:plain

本丸跡から見えた、伊那市の光景です。

雲がかかっていて、天空の町のような印象を与えてくれました。 f:id:tidus_tabilog:20210126111337j:plain

城跡には神社が建立されていることが多いですが、高遠城にも神社が建立されていました。

こちらは新城神社という神社です。

もっとも、これまで見てきた眞田神社等に比べると、ひっそりした佇まいの神社でした。 f:id:tidus_tabilog:20210126111435j:plain

こちらは、桜雲橋と問屋門です。問屋門は城下から移設された門だそうです。

なお、高遠城のスタンプは、歴史博物館に設置されておりますが、歴史博物館の入り口の外に設置されていたため、営業時間外でも押印が可能となっておりました。

続日本100名城No.129「龍岡城」

それでは、続日本100名城に移ってまいりましょう。続日本100名城の1城目は、佐久市にある続日本100名城No.129「龍岡城」です。

龍岡城の場所を地図上で示すとこちら

龍岡城は、1864年に松平乗謨(大給恒)が建設を開始した城です。

そして、星型の城郭が採用され、日本に2つあつある五稜郭の1つとなりました。 f:id:tidus_tabilog:20210126111507j:plain

五稜郭というと函館をイメージしますが、長野県にも五稜郭があったんですね〜。 f:id:tidus_tabilog:20210126111541j:plain

五稜郭だという認識があれば、堀の形がこのような形になっているのも容易に納得がいきます。 f:id:tidus_tabilog:20210126111603j:plain

現在、建造物等は残っておらず、小学校となっております。とはいえ、堀や石垣などは残っておりますので、その遺構だけでも見る価値はありました。 f:id:tidus_tabilog:20210126111647j:plain

先ほどの五稜郭から少し離れたところに、龍岡城の枡形がありました。 f:id:tidus_tabilog:20210126111721j:plain

さて、ここからは余談なのですが、五稜郭に向かう途中、立派なお寺がありまして……

先ほどの枡形に向かう途中に通りかかることができたのでお寺の前に行ってみました。

蕃松院(ばんしょういん)という名前の曹洞宗のお寺です。

武田信玄に仕え、その後徳川家康に仕えた依田信蕃(のぶしげ)のお墓があるそうです。

寺院好きとしてはゆっくり拝観してみたい寺院でしたが、今回は攻城が目的だったため、泣く泣く断念しました。

ちなみに、龍岡城のスタンプですが、五稜郭の近くにある「五稜郭であいの館」と呼ばれる場所にあります。この「五稜郭であいの館」ですが、営業開始は9時半とちょっとゆっくりなんですよね。

ですが、五稜郭自体は営業開始時刻よりも早く見ることが出来てしまいます。

そんな方のために、他の場所にもスタンプが設置されておりました。

佐久市役所臼田支所経済建設環境係にもスタンプが設置されておりまして、こちらの方は営業開始は8時半からだそうです。

これさえ知っていれば、道の駅で変に時間を潰さなくてもスムーズに行けたのに……と悔やまれました。

続日本100名城No.130「高島城」

さて、これまで6城紹介してきましたが、いよいよ最後の城となってしまいました。

最後は、諏訪市にある続日本100名城No.130「高島城」です。

高島城の場所を地図上で示すとこちら

高島城は、日根野高吉が、1592年から7年かけて築いた城です。

高島城完成の3年後、日根野氏は下野壬生(現在の栃木県壬生町)に移封され、その後、諏訪氏が高島藩3万石の藩主として、明治維新まで守り抜きました。

諏訪湖を利用して城の防御力を高め、諏訪湖に流れる川を巧みに堀に利用した高島城は、別名「水城」や「浮城」とも呼ばれています。

現在は、1970年に復元された天守や、冠木門(櫓門)や西櫓が残っております。 f:id:tidus_tabilog:20210126111825j:plain

こちらが、復元された天守です。現在は資料館として高島城にまつわる資料が展示されております。

高島城のスタンプもこちらに設置されておりまして、押印の為には入館料を支払って入館する必要がありました。

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冠木門(櫓門)と前橋です。

この橋の下には、水城と呼ばれる所以となった、堀があります。

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高島城の見所である、天守、冠木門(櫓門)、西櫓を一挙におさめた写真です。

こうして見ると、コンパクトな城跡ではありますが、なかなか雰囲気のあるお城ですね。

ちなみに、高島城の隣にある諏訪市役所の駐車場に観光専用の無料の駐車場がありますので、そちらに停めていけばゆっくりと見学することができました。

最後に

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以上、長野県内の日本100名城と続日本100名城を紹介してまいりました。さすがに7城もあるとボリュームのある記事になってしまいました。

さて、冒頭にも紹介しましたが、実際の順番通りに見てみますと、

  • 続日本100名城No.129「龍岡城」
  • 日本100名城No.28「小諸城」
  • 日本100名城No.27「上田城」
  • 日本100名城No.26「松代城」
  • 日本100名城No.29「松本城」
  • 続日本100名城No.130「高島城」
  • 日本100名城No.30「高遠城」

でした。このうち、龍岡城は本文でも紹介しました通り、8時半からスタンプを押すことができますので、8時よりも前に五稜郭を見学し、8時半に佐久市役所臼田支所を訪れれば効率的に次の小諸城につなげることができたかと思います。

そうすると、全体的に1時間ずつ早まって、最後の高遠城に着く頃にも、なんとか陽の光が残っている内に訪れることが出来たのかなと思います。

一応、事前にスタンプの設置場所などの情報は入念にチェックしては行っていたのですが、今回の情報は事前に仕入れることができなかったため無念です。

また、鬼門は松本城かと思います。というのも、松本市内は非常に渋滞が酷く、そこで大幅に時間が奪われました。さらに駐車場も空いていないことが多いので、ロスタイムが大きい場所です。城は素晴らしかっただけに、非常に残念でした。

今回は時間の関係上、松本城の天守閣に登ることができませんでしたが、いずれまたリベンジしに行きたいなと思います。その際は車じゃなくて鉄道で行くでしょうね(笑)

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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*1:ただし、5時間以上駐車する場合は逆転現象がおきますので、ご注意を

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