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【棚田のおまけもアリ!!】石川県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました!

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2019年9月に、マイカーで北陸を訪れてきました。

上の記事内でもお伝えいたしましたが、東京から富山まで約6時間。非常に長かったです(笑)

初日は富山県内の日本100名城と続日本100名城を攻城しました。続く2日目は、石川県です。

というわけで、本稿では石川県内の日本100名城と続日本100名城の攻城の様子を紹介いたします。

石川県内の日本100名城と続日本百名城

石川県内で日本100名城と続日本百名城に選定されている城は以下の3城になります。

  • 日本100名城No.34「七尾城」
  • 日本100名城No.35「 金沢城」
  • 続日本100名城No.136「鳥越城」

今回、廻った順番も上と同じ順番でしたので、番号順に紹介して参ります。

日本100名城No.34「七尾城」

まず最初に訪れたのは、七尾市にある「七尾城」です。

七尾城の場所を地図上で示すとこちら

七尾城は、1504〜28年頃に能登畠山氏によって築城されたと言われています。そして能登畠山氏が居城としていたのですが、上杉謙信によって攻められ、落城してしまいました。

上杉謙信の死後は前田利家が入城することになります。前田利家は七尾城に入城すると、七尾城の修復にとりかかるのですが、同時に小丸山城の築城にもとりかかります。そして、小丸山城が完成すると、七尾城を廃城とし、七尾城はその歴史に幕を下ろすこととなったわけです。

なお、スタンプは七尾城の麓にある懐古館という施設に設置されております。事前の情報で懐古館が開いてなくても押せるとのことでしたので、早朝に訪れ、スタンプを押させて頂きました。

また、七尾城へは天守台の近くまで車で登っていくことができます。ただし、道は狭いのですれ違いには注意が必要です。 f:id:tidus_tabilog:20201009153729j:plain

今回は時間短縮のため、車で山を登って行きました。車を止めたのち、ここから天守跡を目指します。 f:id:tidus_tabilog:20201009153742j:plain

七尾城は山城なのですが、よくこんなところに石垣を築けるなと山城を見るたび感心させられます。

この時、一人で山の中に居たので、クマやイノシシが出てきたりしないだろうか?とビクビクしていたのは内緒です(笑)

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七尾城の見どころの一つ、九尺石です。長さが2.7mあることから九尺石と名付けられたとか…… f:id:tidus_tabilog:20201009155152j:plain

九尺石を見たついでに、二ノ丸跡も見てきました。特に何も残っておらず……

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二ノ丸跡を見終えた後は、本丸攻めです。この石段を登って先に本丸跡があります。 f:id:tidus_tabilog:20201009155254j:plain

と言っても、二ノ丸跡同様、本丸跡も何かあるわけではないのですが、大きな石碑が立てられたおりました。 f:id:tidus_tabilog:20201009155630j:plain

また、お城あるあるですが、本丸跡には神社が建立されておりました。

先ほど、上杉謙信が七尾城を攻城したと紹介しました。七尾城を手に入れた上杉謙信は、七尾城からの七尾湾の眺望がお気に入りだったようで。

その眺望がこちら f:id:tidus_tabilog:20201009155642j:plain

戦国時代とは異なりますが、確かに七尾城からの七尾湾の眺望は気持ちの良いものでした。朝早かったということもありますが、とても清々しい気持ちにしてもらいました。これが山城のいいところですね。

日本100名城No.35「金沢城」

さて、続いて訪れたのは、金沢市にある金沢城です。

金沢城の場所を地図上で示すとこちら

以前、弊ブログで紹介いたしましたが、数年前、金沢市を訪れた際に、少しだけ立ち寄った城です。

当時は100名城のスタンプ収集をやっていなかったため、特に何もなかったわけですが、数年の時を経て、こうして再訪することになったわけです。

さて、金沢城は1580年に織田信長の家臣・佐久間盛政によって築城されたのが始まりです。この地は加賀の一向一揆の拠点である金沢御堂の跡地でもありました。

その後は前田利家によって改修されますが、天守は落雷によって焼失してしまいます。現在の金沢城は1631年からの普請によるものだと言われています。 f:id:tidus_tabilog:20201009155757j:plain

と、紹介しておきながらこんなことを言うのは何ですが、中を見たいという気持ちが湧いてこず、二ノ丸案内所にてスタンプのみを押して次の場所へと向かうことにしました(笑)

続日本100名城No.136「鳥越城」

石川県で最後に訪れたのは、白山市にある鳥越城です。

鳥越城の場所を地図上で示すとこちら

鳥越城は、1580年以前に、一向一揆の軍事拠点の一つとして築城されたと考えられています。

その後、織田信長と対峙し、徹底抗戦することになりますが、1580年についに落城してしまいます。落城後も抵抗しますが、1582年には鎮圧されてしまいました。

現在は本丸の枡形門が復元されております。また、本丸近くまで車で登っていくことができるので、楽に攻城できます。もっとも、スタンプは城跡ではない場所に設置されているので注意が必要です。 f:id:tidus_tabilog:20201009155933j:plain

こちらが先ほど紹介した本丸の枡形門です。 f:id:tidus_tabilog:20201009155945j:plain

一応(と言っては失礼ですが…)櫓もあります。 f:id:tidus_tabilog:20201009160133j:plain

櫓門の奥は、当時の本丸の構造が説明されておりました。 f:id:tidus_tabilog:20201009160146j:plain

本丸からは、麓にある道の駅と一向一揆歴史館(スタンプが設置されている施設)を望むことができました。ここなら敵襲もバッチリ見えますね!……と言いたいところですが、樹木が生い茂っていたせいで、あんまり見えませんでした(笑)

包囲されたら終わるんじゃなかろうか……

最後に(おまけ)

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最後に、おまけのスポットを紹介いたします。

せっかく七尾城まで行ったので、さらに足をのばして白米千枚田も行って参りました。

白米千枚田の場所はこちら

この日はあまり天気が良くなかったので、光が微妙な感じでしたが、実った稲穂の色が美しく印象的でした。 f:id:tidus_tabilog:20201009160329j:plain

これでまた一つ、リストを消化することができました。

さて、これにて石川県を制覇しましたので、この次は福井県へと向かいました。福井県の攻城の様子はまた別稿で紹介いたします。

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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