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宮崎県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました!

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※2020年11月1日更新

画像が表示されない不具合を修正しました。

2019年6月までに訪れたことのある九州地方の県は、

  • 福岡県
  • 長崎県

の2県だけでした。

そして、前稿でお伝えしました通り、今回鹿児島県を訪れる機会に恵まれまして、鹿児島県に初上陸いたしました。

鹿児島県内の攻城についてはこちらの記事をどうぞ!

しかしながら、鹿児島だけではもったいないと思い、宮崎県も少し訪れてこようと事前に計画を立てておりましたので、宮崎県にも足を運んでまいりました。そしてただ足を運ぶだけではもったいないので、宮崎県の日本100名城と続日本100名城も合わせて攻城してくることに。

というわけで、本稿では宮崎県内の日本100名城と続日本100名城の攻城の様子を紹介します。

宮崎県内の日本100名城と続日本100名城

宮崎県内で日本100名城と続日本100名城に選定されているのは、以下の3城です。

  • 日本100名城 No.96「飫肥城」
  • 続日本100名城 No.195「延岡城」
  • 続日本100名城 No.196「佐土原城」

今回も効率的に廻るにはどういう順番がよいかと考えたところ、以下の順番が楽だと判断したので、以下の順番で廻ることにいたしました。

  • No.96「飫肥城」
  • No.196「佐土原城」
  • No.195「延岡城」

位置関係で説明しますと、延岡城が一番北にありまして、飫肥城が一番南に位置しています。宮崎空港から移動するとなると、宮崎空港よりも北側に位置しているのが佐土原城と延岡城になり、宮崎空港よりも南側に位置しているのが飫肥城という位置関係になります。

ですので、宮崎空港を起点にして効率的に攻城するとなると苦労するかと思います。

ちなみに、僕は鹿児島の志布志城から攻城していったため、飫肥城から北上していくというルートになりました。

以下、実際に攻城していった順番通りに紹介して参ります。

No.96「飫肥城」

まず最初に訪れたのは、日本100名城No.96「飫肥城」です。「飫肥」は「おび」と読みます。

飫肥城の場所を地図上で示すとこちら

飫肥城は、戦国時代には島津氏が城主として統治しておりましたが、1587年には、豊富秀吉から伊東祐兵が飫肥を領地として与えられます。

以後、明治まで伊東氏が城主として居城することになります。

現在、飫肥城の本丸跡は飫肥小学校のグランドとして使用されています。 f:id:tidus_tabilog:20201101133831j:plain

再建された大手門です。日本100名城のガイドブックにも大手門の写真が掲載されているせいか、大手門を見ただけで満足してしまいました(笑)

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大手門をくぐりますと、枡形になっていました。

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しあわせの杉と呼ばれる4本の杉です。

この四本の杉の対角線が交差するポイントは気が集中するそうです。

ホンマかいな?

と思いつつ、しっかりと交点に立ってきたのは内緒です(笑)

ちなみに、飫肥城のスタンプは飫肥城歴史資料館に設置されているのですが、その飫肥城歴史資料館は上の写真の右手にあります。スタンプだけなら入館しなくても押せるのですが、せっかくなので資料館を見学していうことにしました。資料館だけでなく、他の施設も一緒に回れる共通券がお得ですので、お時間に余裕がある方は共通券を購入すると良いかと。 f:id:tidus_tabilog:20201101134000j:plain

さて、飫肥城を見に行った際にオススメしたいのは、城跡よりも城下町の方です。車で城下町に入った瞬間、雰囲気がガラッと変わったのを覚えています。

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こちらは武家屋敷通りです。武家屋敷通りには、小村寿太郎の生家があったり、カフェがあったりしました。

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こちらが小村寿太郎の生家です。ただし、ここで生まれたわけではなく、もともと別の場所にあった建物をこちらに移設したようです。

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金沢に行ったことがある方は、金沢を思い浮かべるとイメージが湧きやすいかと思います。民家は現代様式の建物ですが、街の景観が損なわれないよう、配慮がなされておりました。

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驚いたのは、排水溝で鯉が泳いでいたことです。この通りの脇にある排水溝に目を落としてみると……

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何匹もの錦鯉が泳いでおりました。それだけ水が綺麗ってことなんでしょうね〜。

No.195「佐土原城」

つづいて訪れたのは、宮崎市内にある続日本100名城No.195「佐土原城」です。

佐土原城の場所を地図上で示すとこちら

スタンプは鶴松館(かくしょうかん)という佐土原歴史資料館の入り口に設置されています。

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こちらがその鶴松館です。門をくぐってすぐ右手にスタンプが置かれていました。

鶴松館は無料ですので、佐土原の歴史を見てみるのも良いかと思います。残念ながら撮影禁止でしたので館内の様子を撮影した写真はありません。

佐土原城跡を見学する場合、鶴松館の脇から建物の裏側を通って行くことになります。

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建物の裏は緑であふれておりますが、いのししが目撃されたとのことですので、注意を促されました。

ここから5分ほど歩いたところに、佐土原城への登山口があります。 f:id:tidus_tabilog:20201101134404j:plain

しかしながら、2018年の台風の影響で登山道が塞がれており、ここから先へは進むことはできませんでした。

No.196「延岡城」

最後に訪れたのは、続日本100名城No.196「延岡城」です。その名のとおり、延岡市内にあります。

延岡城の場所を地図上で示すとこちら

実は、当初の予定では延岡城を訪れる予定はありませんでした。しかしながら、諸般の事情により予定を変更しまして、急遽延岡まで足を運ぶことにしました。

さて、延岡城ですが、1590年に豊臣秀吉の命によってこの地にやってきた高橋元種によって、1603年に完成されました。その後、有馬氏、三浦氏、牧野氏と藩主が替わっていきます。1747年、福島県いわき市から内藤氏が入封し、明治維新を迎えるまで延岡を治めることになります。

って、福島県から遠路はるばるやってくるって凄いですよね?恐らく、船での移動だとは思いますが、それでも当時からしてみれば大移動だったと思います。

現在の延岡城は、公園になっておりまして、誰でも自由に出入りができるようになっております。駐車場もありますし、スタンプも24時間押せるようになっておりましたので、宮崎県の100名城攻城では最後に訪れるのが、最も都合がよいかもしれません。

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平成5年に復元された北大手門です。

ここから二の丸の広場へと入っていきます。

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こちらは、延岡城最大の見所である千人殺しの石垣です。

「千人殺しの石垣」という名前ですが、一番下の根石を外すと石垣全体が一度に崩れ、「千人の敵兵を殲滅する」と言われていたことに由来しています。実際、この石垣は法長約22m、高さ約19mもあり、宮崎県で最も大きい石垣になります。

本当に崩れるか試してみたいところですが、もし崩れたら自分一人だけでなく、この公園自体が崩れて大変なことになってしまうので控えておきました(笑)

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千人殺しの石垣の脇にある階段を登っていくと、本丸跡に到着です。写真には写っておりませんが、ちょうどこの位置の後ろにある建物にスタンプが設置されております。

ここからさらに天守台へと続く坂道を歩いて登っていきます。

天守台に到着です。緩やかではありますが、蒸し暑い中歩いてきたので汗だくになってしまいました。

天守台からは延岡の街を一望することができます。

天守台には鐘が設置されています。こちらは、毎日6時、8時、10時、12時、15時、17時の6回、鐘が鳴らされているそうです。この鐘の音で延岡の方々は時刻を把握しているんだとか。

ですので、鐘の横に、住民が混乱するので鐘は鳴らさないようにという注意書きが書かれておりました。

最後に

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以上、宮崎県内の日本100名城と続日本100名城攻城の旅をお届けしました。本文中でも触れましたが、飫肥城の城下町はオススメのスポットです!それを裏付けるかのように、観光バスが何台も止まっておりましたし、外国人観光客もいらっしゃいました。可能であれば一泊するぐらいゆっくりしてもいいかなと思います。

それから、関東では見かけない飲み物があったので購入してみました。 f:id:tidus_tabilog:20201101135030j:plain

調べてみたところ、

宮崎県都城市に本拠を置く南日本酪農協同が1972年から販売しているヨーグルト風味の炭酸飲料。

(引用元:Wikipedai)

なるほど、関東ではみかけないのも納得しました。飲んでみたらとても美味しかったですよ!

さて、これで47都道府県制覇まで、あと9県となりました。100名城攻城の方は、鹿児島県分と合わせて83城で、残り117城です。(まだまだ半分行ってないのか……)

完全制覇に向けて、引き続き頑張ってまいります!

それではー!

ANAの旅行サイト【ANA SKY WEB TOUR】

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