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福井県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました!

2019年9月に、車を走らせて北陸地方の100名城めぐりを行ってきました。既に報告済みではございますが、富山県と石川県の100名城を廻りまして、最後は福井県です。

福井県はなかなか訪れるのには不便な場所にあるなと思っておりましたが、こうしてまとめて廻ったことで、比較的効率よく廻れたかなと思っております。

というわけで、本稿では、福井県の日本100名城と続日本100名城の攻城の様子をお届け致します。

福井県内の日本100名城と続日本100名城

福井県内で日本100名城と続日本100名城に選定されているのは、以下の6城です。

  • 日本100名城No.36「丸岡城」
  • 日本100名城No.37「一乗谷城」
  • 続日本100名城No.137「福井城」
  • 続日本100名城No.138「越前大野城」
  • 続日本100名城No.139「佐柿国吉城」
  • 続日本100名城No.140「玄蕃尾城」

6城はなかなか多い方ですね。

冒頭でも申し上げましたが、今回は富山県、石川県を訪れてから廻りましたので、実際に訪れた順番は次の通りとなります。

  • 日本100名城No.36「丸岡城」
  • 続日本100名城No.138「越前大野城」
  • 日本100名城No.37「一乗谷城」
  • 続日本100名城No.137「福井城」
  • 続日本100名城No.139「佐柿国吉城」
  • 続日本100名城No.140「玄蕃尾城」

訪れた順番に紹介しようかとも思いましたが、今回は番号の順番通りに紹介してまいります。

日本100名城No.36「丸岡城」

まずは、坂井市にある日本100名城No.36の「丸岡城」です。

丸岡城の場所を地図上で示すとこちら

丸岡城は、1576年に柴田勝豊(柴田勝家の甥)が築城しました。現在、日本に残る現存天守12城のうちの一つになります。

丸岡城は柴田氏によって築城されましたが、その後城主が安井氏、青山氏、今村氏、本多氏、有馬氏と目まぐるしく変わっていく歴史を持った城でもあります。

なお、スタンプは券売所に設置されておりました。天守閣に入らずとも押せますが、現存天守ですし、中に入って歴史を感じないのはもったいないかと思います。

日本100名城No.37「一乗谷城」

次は、福井市にある日本100名城No.37の「一乗谷城」です。

一乗谷城の場所を地図上で示すとこちら

一乗谷城は、朝倉孝景が15世紀後半に築城したとさわれております。一乗谷「城」となっていますが、朝倉氏の居館だけでなく、城下町と周囲四つの山城を含んだ一帯の縄張りを指しています。

もっとも、一度も戦に使用されることなく廃城に至った歴史をもつ城でもあります。

町屋が立体復元されており、当時の町の様子を伺うことができます。が、訪れた時間が遅かったため、中を見ることができませんでした……

見所の一つである唐門です。朝倉氏の時代のものではなく、豊臣秀吉が寄進したと言われております。

さて、スタンプの設置場所ですが、書籍には復原町並の入口と記載されておりますが、そのほかにも一乗谷朝倉氏遺跡資料館にも設置されておりました。実際、僕は資料館の方でスタンプを押してから城跡へと向かいました。

続日本100名城No.137「福井城」

ここからは続日本100名城篇です。まずは、福井市にあるNo.137「福井城」です。

福井城の場所を地図上で示すとこちら

福井城は、徳川家康の二男・結城秀康が1601年から6年がかりで北庄城を拡張して築城した城です。その後、松平忠昌の代に「福居(福井)城」と改名されました。

地図をご覧いただくとお分かり頂けるように、福井城は現在、福井県庁と福井県警の庁舎が建っております。

スタンプの設置場所ですが、事前に調べて行ったところ、警備室で押させてもらえるとのことで、警備室を訪れてみたところ親切に対応して頂きました。

続日本100名城No.138「越前大野城」

続いて、大野市にあるNo.138「越前大野城」です。

越前大野城の場所を地図上で示すとこちら

越前大野城は、1576年以降に織田信長の家臣・金森長近によって築城された城です。金森氏の後、長谷川氏、青木氏を経て織田信長の孫・織田秀雄が城主になります。江戸時代になると越前大野城は越前松平氏の支城となりましたが、のちに独立します。1682年には譜代の土井利房が城主となり、幕末まで土井氏が藩主として大野藩を治めることになります。

越前大野城へ行くにはちょっとした山登りになります。越前大野城の麓には、小規模ですが、駐車場がありますので、そこに車を止めて行くのが便宜かと思います。

スタンプは天守の入り口に設置されております。

続日本100名城No.139「佐柿国吉城」

続いては、美浜町にあるNo.139「佐柿国吉城」です。

佐柿国吉城の場所を地図上で示すとこちら

JR小浜線で行くのも良いかと思いますが、自動車の方が圧倒的に楽かと思います。

佐柿国吉城は1556年ごろ、粟屋勝久によって築城されました。1563年以降、朝倉氏に度々侵攻されていますが、いずれも撃退しており、難攻不落の城と言われています。

1570年には信長、秀吉、家康の三英傑を城に迎えております。1583年には秀吉の家臣・木村定光が城主となりますが、江戸時代初期に廃城となりました。

スタンプは、こちらの資料館内に設置されております。

資料館内には佐柿国吉城の縄張りのジオラマが設置されております。

実際の佐柿国吉城跡へはここから登って行くことになります。ちなみに、秋は熊が出没するそうで。先ほどの資料館で熊鈴のレンタルをしているそうなのですが、登山をする格好ではなかったので大人しく帰ることにしました。

続日本100名城No.140「玄蕃尾城」

最後は、敦賀市にあるNo.140「玄蕃尾城」です。

玄蕃尾城の場所を地図上で示すとこちら

福井県内の城として紹介しておりますが、滋賀県にもまたがっている城です。アクセスは圧倒的に福井県側からの方がよいそうです。といいますか、福井県側からですと途中まで自動車で登って行くことができます。 もっとも、駐車場は大して広くないですし、さらに道も車一台が通れるくらいの幅しかありませんので、非常にスリル満点です。

さて、玄蕃尾城は1582年に柴田勝家によって築城された山城です。1583年には、豊臣秀吉と対決するために柴田勝家は玄蕃尾城に本陣を構えます。

秀吉が大垣に出陣した隙をついて勝家も出陣しますが、秀吉軍の反撃に遭ってしまい北庄まで敗走します。その後、玄蕃尾城は再利用されることはありませんでした。そのため、現在では陣城としての遺構が残るのみです。

登山をする格好ではなかったので、登ってはおりませんが、なかなか骨が折れそうな印象を受けました。

入り口にはスタンプ台とトイレ、そして貸し出し用の杖が置かれていました。

最後に

というわけで、福井県内の日本100名城と続日本100名城を紹介いたしました。

100名城の攻城が目的でしたが、初めて福井県を訪れたということもあり、47都道府県制覇にも一歩近づくことができました。本稿執筆時点で、残りあと4県となっております。

福井県は日本100名城と続日本100名城合わせて6城もありましたが、6城もあると移動が本当に大変で、なかなかゆっくりできません。以前も述べましたが、城がメインになるとご当地グルメを堪能することがないので、今回も福井の名物と言えるようなものを食べておりません(笑)

次回福井を訪れる際には、ご当地グルメを楽しみたいと思います。

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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