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奈良県内の日本100名城と続日本100名城を攻城してきました!

f:id:tidus_tabilog:20201008101130j:plain 2019年9月に、連休を利用して三重県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してくるとともに、和歌山県の新宮城も訪れてきました。

これらに関しては、すでに下の記事でご報告した通りです。

さて、三重県と和歌山県の城を巡ってきたわけですが、時間的にまだ余裕がありましたので、奈良県内の100名城も廻ることにいたしました。

というわけで、本稿では、奈良県内の日本100名城と続日本100名城の紹介をいたします。

奈良県内の日本100名城と続日本100名城

奈良県内で日本100名城と続日本100名城に選定されているのは、以下の3城です。

  • No.62「高取城」
  • No.165「大和郡山城」
  • No.166「宇陀松山城」

前述のとおり、和歌山から奈良へと向かいましたので、実際に訪れた順番は次の通りとなりました。

  • No.166「宇陀松山城」
  • No.62「高取城」
  • No.165「大和郡山城」

本稿では、実際に訪れた順番に紹介させていただきます。

No.166「宇陀松山城」

最初に訪れたのは、宇陀市にある続日本100名城No.166「宇陀松山城」です。

宇陀松山城の場所を地図上で示すとこちら

地図をご覧いただくとお分かり頂けるかと思いますが、鉄道で行くには非常に不便な場所にあります。自動車で行ってもまあまあ不便な場所にありました。

スタンプは、城跡近くにあります「宇陀市立松山地区まちづくりセンター」に設置してあります。

さて、宇陀松山城の築城年代は明らかになっておりませんが、南北朝時代から戦国時代にかけて秋山氏の居城だった秋山城が前身だったのではないかと考えられております。1585年以降、豊臣家の配下が改修を進めていきました。

関ヶ原の合戦後は、福島高晴に宇陀郡が与えられますが、1615年の大坂の陣後、福島氏は改易となり、宇陀松山城は破却されるに至りました。

つづいて、宇陀松山城跡の様子を紹介してまります。 f:id:tidus_tabilog:20201008101309j:plain

宇陀市立松山地区まちづくりセンターでスタンプを押した跡、本丸跡を目指して坂道を登っていきました。

途中までは、舗装された道なのですが、ある程度の高さまで行きますと…… f:id:tidus_tabilog:20201008101331j:plain

草木が生い茂った道を歩いていくことになります。 f:id:tidus_tabilog:20201008101352j:plain

本丸跡からは、宇陀一体を眺望できます。 f:id:tidus_tabilog:20201008101413j:plain

こちらが、本丸跡です。

何ともあっさりとしたものでした(笑)

急いで下山をいたしまして、次なる目的地へと向かいました。

No.62「高取城」

続いて訪れたのは、高市郡高取町にある日本100名城No.62「高取城」です。

高取城の場所を地図上で示すとこちら

高取城は、1332年頃(南北朝時代)、越智邦澄によって築城されたと考えられております。

標高583メートルの山頂を中心にした山城です。

1585年には羽柴秀長の配下であった本多利朝によって近世城郭へと仕上げられました。

さて、先ほど

訪れた

と書きましたが、実は城跡は訪れておらず、スタンプを押したのみでして……

宇陀松山城から急いでやってきたのですが、日没まであと30分もないような状態でした。

さらに、高取城付近には駐車場がなく、訪れるにも歩いて行かねばならないのです。さらにそこから山を登って……となりますと、登山の装備がないので危険だと判断しまして、泣く泣くスタンプのみで引き上げることにしました。

実際に自分の目で見たかったので、実に残念です。

ちなみに、スタンプは夢想館という観光案内所に設置されておりますが、閉館後あるいは休館日でも押せるようになっておりました。

夢想館の場所はこちら

No.165「大和郡山城」

最後に訪れたのは、大和郡山市にある続日本100名城No.165「大和郡山城」です。

大和郡山城の場所を地図上で示すとこちら

大和郡山城は、1580年に、織田信長の命によって、筒井順慶が築城したとされています。その後、1585年には羽柴秀吉の弟・秀長が入封すると、さらに整備が進められました。

1615年以降は、譜代大名が数家が入りますが、1724年に柳澤氏が入ると、その後明治維新まで柳澤氏が6代にわたって城主を務めることになりました。 f:id:tidus_tabilog:20201008101508j:plain

上の写真は追手向櫓で、下の写真は追手門です。 f:id:tidus_tabilog:20201008101532j:plain

スタンプが設置されている柳澤文庫へ行くには遠回りになるのですが、今回は追手門から入城することにいたしました。 f:id:tidus_tabilog:20201008101556j:plain

旧奈良県立図書館です。

現在は、1階ホールのみ見学できるそうなのですが、僕が訪れた時間帯には開いておらず……

大人しくスタンプを目指して柳澤文庫へと向かいます。 f:id:tidus_tabilog:20201008101627j:plain

途中、天守台を望むことができました。

柳澤文庫でスタンプを押した跡は、先ほどの天守台へ行ってみようと思いまして、天守台へと向かいます。 f:id:tidus_tabilog:20201008101707j:plain

現在、本丸と毘沙門郭を結ぶ極楽橋の再建計画が進んでいるそうです。完成したら、上の写真には極楽橋の姿が加わることになるんでしょうね。 f:id:tidus_tabilog:20201008101730j:plain

残念ながら、極楽橋はまだないので、迂回して本丸跡を目指します。 f:id:tidus_tabilog:20201008101757j:plain

「続日本百名城 郡山城跡」

立派な記念碑が置かれておりました。そういえば、他のお城では記念碑を見かけたことがなかったような…… f:id:tidus_tabilog:20201008101814j:plain

お城あるあるですが、現在は柳澤神社が建立されております。

天守台は、こちらの社殿の裏側になります。 f:id:tidus_tabilog:20201008101834j:plain

天守台の上からの風景です。大和郡山城を周辺を一望することができました。

近くには学校がありまして、部活動の声が聞こえてきましたが、それを除けば、静かで落ち着いた雰囲気のよい場所だなと思いました。

最後に

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以上、奈良県内の日本100名城と続日本100名城の紹介でした。

近年、京都だけでなく奈良も外国人観光客が増加しているそうですが、今回訪れたお城では外国人観光客の姿はありませんでした。

宿泊したビジネスホテルでは外国人観光客の姿しか見なかったんですけどね(笑)春日大社とか法隆寺とか東大寺とか、メジャーなスポットに行かれたのでしょうか?

今回、約20年ぶりに奈良を訪れたわけですが、京都とはまた違った魅力のある場所だなと実感しました。

また奈良を訪れる機会に恵まれましたら、今度はお城ではなく寺院や古墳巡りをしたいなと思います。

(できれば高取城のリベンジも果たしたいところです。)

それではー!


最後までご覧頂きありがとうございました。

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