どこかにマイルを利用して、東京から徳島へと飛んでまいりました。
2日間かけて廻ろうと思っていたのですが、1日で全部終わってしまいましたので、2日目はやることがなくなってしまいました。
徳島県の100名城の攻城についてはこちら
幸いレンタカーを利用していたので、高知県まで足をのばして、高知県の100名城も攻城することにいたしました。
というわけで、本稿では、高知県の日本100名城と続日本100名城を紹介します。
高知県内の日本100名城と続日本100名城
高知県内の日本100名城と続日本100名城に選定されているお城は、以下の2城です。
- No. 84「高知城」
- No.180「岡豊城」
たった2城のため、コンプリートがしやすいと思い、高知県に行くことに決めたのです。
日本100名城No. 84「高知城」
まず最初に訪れたのは、高知市にある日本100名城No.84「高知城」です。
高知城の場所を地図上で示すとこちら
もっとも、高知城は2018年に、JR四国のバースデイきっぷを利用して旅をした際に訪れたことがありますので、今回はスタンプだけにとどめました。
高知城の様子をもっとご覧になりたい方は、下の記事をご覧ください。
続日本100名城No.180「岡豊城」
つづいて訪れたのは、南国市にある続日本100名城No.180「岡豊城」です。
岡豊城の場所を地図上で示すとこちら
岡豊城の詳細な築城年はわかっておりませんが、南北朝時代に築城されたものと考えられています。築城者は長宗我部氏です。
長宗我部氏は、有力国人の一家でしたが、長宗我部元親の親である長宗我部国親の代まではそれほど力があったわけではなかったそうです。
その後、元親によって四国が統一されますが、豊臣秀吉によって土佐一国に領土を減じられたため、1591年に浦戸城を築城します。そして、浦戸城へと居城を移したため、岡豊城は廃城という歴史を辿ることになりました。
さて、岡豊城は岡豊山に築かれた山城です。その縄張りや遺構を見るためには岡豊山に登らなければなりません。現在、岡豊山には高知県立歴史民俗資料館が設置されておりました、ここから岡豊城へと入っていくことができます。スタンプは、こちらの歴史民俗資料館に設置されておりますので、スタンプを押す際に縄張り図も頂くとよいかと思います。
こちらが、歴史民俗資料館を出てすぐの場所にある岡豊城への入り口です。階段の手前には、力強く右手を掲げた長宗我部元親の飛翔像が設置されております。
この日の高知県の気温は30度。まさに夏日でした。しかも岡豊城は山城ですので、攻城の際には汗だくになっているのではないかと登る前から懸念しておりました。
しかしながら実際に登ってみたところ、木々が生い茂っており、日陰を作ってくれていたので、気温の割には体感温度は低く感じました。時折吹く風が非常に心地よかったのを覚えています。
こちらが「詰(つめ)」と呼ばれている場所です。岡豊城は、この詰を中心に、ニノ段、三ノ段、四ノ段と設置されていました。
岡豊城の面白いなと思ったポイントがここで、他の城であれば、「二ノ丸」と呼んでいたり、あるいは「●の丸」と別の曲輪名をつけていたりするところを上記のような呼び方をしていたところです。
これまで自分が訪れた城の中で初めてのタイプだったので新鮮でした。
展望台には、長宗我部氏の石碑が設置されておりました。
他にも散策ポイントはありましたが、岡豊城の遺構を一通り見学し終えたので、このまま下山いたしました。
最後に
以上、高知県内の日本100名城と続日本100名城を紹介いたしました。
冒頭でも紹介いたしましたが、前日に登った一宮城に比べると、岡豊城は非常になだらかな山城でしたので、とても登りやすい城でした。
ちなみに、2019年2月末までは、櫓が公開されておりましたが、現在では公開を終了し、見学することができません。2月末までに行っとけばよかったなと少々後悔いたしました。
さて、これで徳島県と高知県の100名城を制覇いたしました。残るは香川県と愛媛県です。香川県は近々訪れる予定があるので、近々、制覇のご報告ができるかと思いますが、問題は愛媛県です。愛媛県は100名城に選定されている城が多く、かつ、県内に散らばっているので一気に廻りきるのはなかなか難しいかなと思っておりますが、できるだけ早く制覇したいなと思っております。
それではー!
最後までご覧頂きありがとうございました。
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