※2020年10月25日更新
画像が表示されない不具合を修正しました。
</div2019年のゴールデンウィークは、勝手に「東北春の陣」と称して、東北地方へ日本100名城攻城の旅に行って参りました。
これまで弊ブログでお伝えしてきました通り、
- 1日目:宮城県
- 2日目:岩手県
- 2〜3日目:青森県
という日程で攻城して参りました。
そして、今回の舞台は、秋田県です。秋田県って、ちょこっとだけ通過したことはあったのですが、しっかりと訪れたことがなかったので、実質的には今回が初めてとなります。
というわけで、本稿では、秋田県内の日本100名城および続日本100名城の紹介と、その攻城の様子をお届けいたします。
秋田県内で日本100名城と続日本100名城に指定されている城
秋田県内で日本100名城と続日本100名城に指定されている城は次の3城です。
- No.9「久保田城」
- No.106「脇本城」
- No.107「秋田城」
番号順ですと上記の通りですが、実際には番号順に訪れておりません。(そんなルールもありませんので(笑))
先ほどもお伝えしましたとおり、青森県からの引き続きの攻城になりますので、実際にはこのような順番で訪れました。
- No.106「脇本城」
- No.9「久保田城」
- No.107「秋田城」
本稿でも、実際に訪れた順番通りに紹介させていただきます。
No.106「脇本城」
東北春の陣3日目。青森県の弘前城を攻城したのち、東北自動車を南下しまして、秋田県へと向かいました。
途中で秋田自動車道に入りまして、西へと進みます。
目指すは「なまはげ」で有名な男鹿(おが)市です。最初の攻城対象である脇本城は、男鹿市にあります。
脇本城の場所を地図上で示すとこちら。
脇本城跡の入り口に到着した頃には、午後3時を回ってしまっておりました。
こちらが、脇本城跡の入り口です。自動車が5〜6台駐車できるぐらいの駐車場があります。
上の写真でお気づきになる方もいらっしゃるかもしれませんが、右側の道路は車道になっていて、自動車でさらに奥へと登っていくこともできますが、あまりオススメはしません。
というのも道幅が非常に狭く、運悪く下山してくる車とかち合ってしまうとすれ違うことが難しいからです。
車道の方を歩いて登っていくこともできますが、左の鳥居の方の道は階段になっております。最終的には合流するので、どちらでも大丈夫です。
脇本城跡の途中にある菅原神社です。
「菅原」という名前からも察することができますが、御祭神は菅原道真公です。
菅原道真公といえば、学問の神様ですよね。
直近、試験など予定はありませんが、お参りをさせて頂きました。
さらに上へと登っていくと、脇本城の縄張りに到着します。
入り口には無人の小屋がありまして、スタンプはその小屋の中に設置されております。
残念ながらあまりインクがなかったので印影が薄くなってしまいました。
せっかく登ってきたので、少し脇本城の縄張りを見ていくことにしました。
全く期待せずに行ったのですが、ここから見下ろす曲輪と日本海は、なかなかの景色でした。
まさかここまで緑が豊かな場所だったとは……
脇本城跡を見終わると午後4時を回っておりました。
ここから次の城を目指したとしてもスタンプを押すことはできないため、この日は終了。
秋田市内へと向かい、寝床を探しました。結果、秋田港の道の駅に車を駐めて車中泊。
潮風に車を晒すのには抵抗がありましたが、仕方ありませんね。
No.9「久保田城」
東北春の陣4日目。
まずは日本100名城No.9「久保田城」から攻めることにしました。
久保田城の場所を地図上で示すとこちら。
久保田城は、1603年、佐竹義宣によって築城された城です。
佐竹氏は関ヶ原の戦いの後、常陸水戸から出羽秋田へと転封された大大名です。
久保田城跡は、現在公園になっており、市民の憩いの場となっています。
表門です。
こちらは復元されたもので、当時のものではありません。
さらに奥へと進んでいくと、櫓があります。
元々、久保田城には天守がなく、本丸南西隅の二階建ての御出(おだし)書院で代用していたそうです。
また、北西隅には御隅櫓と呼ばれる木造二階建ての櫓がありました。
こちらが、御隅櫓のあった場所ですが、現在は市政100周年を記念して建てられた鉄筋コンクリート造の三階四層の櫓があります。
No.107「秋田城」
秋田県の最後に訪れたのは、続日本100名城No.107「秋田城」です。
秋田城も久保田城と同じく秋田市内にあります。
秋田城の場所を地図上で示すとこちら。
秋田城は733年に築城されたと言われており、出羽北部の軍事・行政の中心として機能しておりました。
もっとも、878年に起こった元慶の乱で一時占拠されたり、939年の天慶の乱でも攻撃を受けており、10世紀後半には、秋田城の機能は失われてしまったと考えられています。
こちらが政庁エリアへの門です。広そうな印象を与えられます。
しかしながら、門を潜ってみると
あれ?こんなもんなの??
というぐらいあっさりとしたものでした。
さて、秋田城にはもう一つ見所があります。それは、古代の水洗トイレです。
東門を潜って、古代沼の方へと向かいます。
東門から歩いて2〜3分のところに、古代の水洗トイレがあります。
こちらがその建物です。
トイレの中はこのようになっていて、水で流せるようになっています。
こちらの木の切れ端は、トイレットペーパーのような役割のものだったそうです。用を足した後、これでケアをしていたんですね。
切れ痔になりそう……
そんなわけで、秋田城は30分ほどで見終えてしまいました。
最後に
というわけで、秋田県内の日本100名城および続日本100名城を制覇いたしました!
初めての秋田県ということにもなり、47都道府県制覇に一歩近くこともできました。
今回は100名城のスタンプラリー目的で行きましたが、白神山地にもいずれ行ってみたいですね。
あと、時間の都合でなまはげ博物館にもよることができなかったのは残念でした。また、横手のかまくらも見てみたいですしね。
いずれまた秋田県は再訪したいと思っております。
それではー!
最後までご覧頂きありがとうございました。
ランキングに参加しております。バナーをポチッ!として頂けますと、励みになります!!