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広島県内の日本100名城と続日本100名城を制覇してきました!

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※2021年1月17日更新

画像が表示されない不具合を修正しました。

2019年から青春18きっぷを利用して鉄道旅を始めてみたのですが、これが思いの外面白く、はまってしまいました。

1月と3月に青春18きっぷの旅をやったのですが、7月も青春18きっぷを購入しまして、鉄道旅をすることにしました。

1月と3月の旅のまとめについてはこちら

もっとも、もはや学生ではないので長い夏休みなど取れるわけもなく……ですので、土日に行くのがメインとなります。

そして、今回は飛行機も併用しまして、広島県(正確には岩国空港ですので山口県です。)へと飛びました。目的は、広島県内の日本100名城と続日本100名城の攻城です。

というわけで、本稿では、広島県の日本100名城と続日本100名城を紹介します。

広島県内の日本100名城と続日本100名城

広島県内で日本100名城と続日本100名城に選定されている城は、合わせて5城あります。

  • No.71「福山城」
  • No.72「郡山城」
  • No.73「広島城」
  • No.172「三原城」
  • No.173「新高山城」

新幹線で訪れた場合、福山まで行き、福山から

  • No.71「福山城」
  • No.172「三原城」
  • No.173「新高山城」
  • No.73「広島城」
  • No.72「郡山城」

という順番で攻城するのが効率的かと思いますが、今回は飛行機で岩国空港へ行きましたので、

  • No.72「郡山城」
  • No.73「広島城」
  • No.173「新高山城」
  • No.172「三原城」
  • No.71「福山城」

という順番で攻城いたしました。

本稿では、実際に訪れた順番で紹介してまいります。

日本100名城No.72「郡山城」

まず最初に訪れたのは、日本100名城No.72「郡山城」です。

郡山城の場所を地図上で示すとこちら

※2021年1月17日更新

画像が表示されない不具合を修正しました。

広島県の北部、安芸高田市にあります。鉄道で訪れるのは効率的ではなく、広島市内の広島バスセンターからバスに乗って行きます。乗車時間90分という、なかなかのハードワークです(笑)

運賃は990円。バスの本数は1時間に1本ですので、要注意です! f:id:tidus_tabilog:20210117153835j:plain

郡山城のスタンプは、郡山城の麓にある歴史民俗博物館という施設の入り口にあります。ここから歩いて城山を登って行くわけですが、自動車で訪れれば途中まで自動車で登って行くことができるので楽だと思います。

レンタカーを利用することも考えたのですが、ここと新高山城ぐらいでしか恩恵を受けることができないと判断したため、今回は公共の交通機関を利用しての攻城です。 f:id:tidus_tabilog:20210117153854j:plain

ここからぐいぐい登ってまいります。

先ほども書きましたが、バスは1時間に1本です。予定のバスに乗れなかった場合、1時間を無駄にしてしまうことになるのでゆっくりもしていられません。

郡山城は毛利氏の居城でした。そのため、ここには毛利氏一族のお墓があります。そうです。毛利元就公のお墓もここにあるのです。

下の写真は、毛利元就公のお墓への参道です。本丸跡へ行く途中にあるので訪れて行くことにしました。 f:id:tidus_tabilog:20210117153917j:plain

上の写真の鳥居をくぐった瞬間、空気がちょっと変わりました。

5分ほど歩いたでしょうか。また鳥居が現れました。 f:id:tidus_tabilog:20210117154026j:plain

どうやらこの先で元就公のお墓があるようです。

残念ながら元就公のお墓は柵で覆われていたので近くで拝むことができませんでしたが、柵の上に手を伸ばして撮影して参りました。 f:id:tidus_tabilog:20210117154045j:plain

元就公だけが高い場所に置かれておりまして、他の毛利氏は別の場所に集中しておりました。やはり元就公だけは別格なんですね。

さて、ここから山道を登って行きまして、本丸跡を目指しました。資料館では、「小学生でも登れるような道なので、それほど険しくはないでしょう。」と教えていただいたのですが、結構大変でした。

今回はランニングシューズで行ったのですが、トレッキングシューズの方が良いかと思います。幸い、クマやイノシシには遭遇しませんでしたが、マムシに遭遇したので油断はできません。 f:id:tidus_tabilog:20210117154239j:plain

やっとの思いで到着したと思ったら、二の丸でした(笑)

ここからもう少しだけ登っていくと、本丸跡があります。 f:id:tidus_tabilog:20210117154319j:plain

本丸跡と刻まれた石碑があるだけで、他には何もありません(笑)

と、ここで時計に目をやると、予定のバスに乗るには下山を開始しなければならない時間でした。急いで元来た道を戻ります。

途中、こんなものがありました。 f:id:tidus_tabilog:20210117154500j:plain

おはか「死」入り口??

ちょっと気味が悪いですね。こんなことがあったせいか、危うく道を間違えそうになりまして、山の中を彷徨い続けることになりそうでした。危ない危ない。

無事、麓の資料館まで戻ってくることができたのですが、あと200mのところでバスが走り去って行ってしまいました(涙)

仕方なく1時間待ちましたよ。トホホ………

さて、この日は夏祭りを行なっているところが多かったみたいで、帰りのバスの車窓から浴衣を着た方々の姿を多数目撃しました。

おまけに渋滞も酷く。結局、広島バスセンターまで2時間かかりました。当初の予定では、初日に郡山城と広島城を攻城する予定だったのですが、処置には郡山城のみとなってしまいました。

日本100名城No.73「広島城」

さて、2日目は広島城からのスタートです。 f:id:tidus_tabilog:20210117154537j:plain

広島城の場所を地図上で示すとこちら

もっとも、広島城は2017年にも訪れておりますので、改めて見る必要はないかなと思い、スタンプだけ押して出ることにしました。

2017年に訪れた時の記事はこちら

広島城のスタンプは天守閣内の売店にあります。 f:id:tidus_tabilog:20210117154701j:plain

午前9時に訪れたのですが、既に観光客が来ておりました。もっとも、人数は大した数ではなかったので、ゆっくりご覧になりたい方は開館が狙い目だと思います。

続日本100名城No.173「新高山城」

つづいて訪れたのは、三原市にある続日本100名城No.173「新高山城」です。

新高山城の場所を地図上で示すとこちら

新高山城は、1552年に、毛利元就公の三男・小早川隆景公が築城した城です。(元就公の三男なのに小早川氏の姓なのは小早川氏の養子に入ったためです。)

もっとも、小早川隆景公は、その後に三原城を築城し、居城を移したことにより、新高山城は廃城となっております。

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沼田川を挟んで、右手には高山城。左手には新高山城という位置関係になっております。

さて、新高山城も登るぞと意気込んで行ったのですが、登山口が見当たらず……資料館でもらった地図の通りに行ったですが、全然見当たりませんでした。そして、全然違う道を歩いて行ってしまい、結果、城山には登ることができず、スタンプを押しただけで終わってしまいました。

資料館でもらった地図では、水道事務所を西に曲がったところから登って行くような描かれ方がしていたのですが、実際は水道事務所をさらに北に進んだところに登山道の入り口があるようです。

はじめからGoogleマップで調べていけば良かっと後悔した瞬間でした。

続日本100名城No.172「三原城」

続いて訪れたのは、同じく三原市にある続日本100名城No.172「三原城」です。

三原城の場所を地図上で示すとこちら

三原城は1567年に小早川隆景公が築城した城です。

三原城は、山陽新幹線開通に伴って、天守台が寸断されるという形になりました。 f:id:tidus_tabilog:20210117154905j:plain

そのため、三原駅構内から天守台に登るという、ちょっと変わった構造になっております。 f:id:tidus_tabilog:20210117154917j:plain

山陽新幹線によって天守台がぶち抜かれても、国指定の史跡になっています。 f:id:tidus_tabilog:20210117154931j:plain

新幹線の高架と石垣という、かなり変わった光景を目にすることができるのも三原城ならではといったところでしょうか。

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現代の建造物と戦国時代の建造物がコラボしているのは、なかなか面白い光景です。

ちなみに、こちらの堀には錦鯉が泳いでおりました。

日本100名城No.71「福山城」

広島県最後の攻城は、福山市にある日本100名城No.71「福山城」です。

福山城は、徳川氏の譜代大名・水野勝成が1619年に築城した城です。

ちょうど本稿執筆時点から400年前ですね。

福山城の場所を地図上で示すとこちら

地図でご覧いただくとお分かりいただけます通り、福山駅を出てすぐの場所にあります。

福山って、のぞみの一部が停車する駅なんですよね。そのせいなのか、駅周辺はかなり栄えている印象を受けました。 f:id:tidus_tabilog:20210117155125j:plain

石段を登り、こちらの筋鉄(すじがね)御門をくぐって場内へと入って行きます。 f:id:tidus_tabilog:20210117155140j:plain

筋鉄御門の近くにある伏見櫓です。幕府から下賜された櫓を移築したと言われております。

一応、と言っては失礼ですが、国の重要文化財に指定されています。 f:id:tidus_tabilog:20210117155154j:plain

そして、福山城の天守閣です。

1966年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

おかげでエアコンが効いていて涼しかったです(笑)

天守閣内は撮影が禁止されていたため、撮影は多なっておりませんが、最上階から外の景色を撮影することは大丈夫でした。

福山城の最上階から周辺を見ていたら、何やら気になる建物がありました。 f:id:tidus_tabilog:20210117155241j:plain

なんだ、あのサイゴン大聖堂のような建物は!?

気になったので後で調べてみたところ、どうやら結婚式場だったようです。

納得。

それにしても、結構な高さの建物ですね。福山城の上から眺めていて、一棟だけ異質な建物だったので非常に目立っておりました(笑)

最後に

f:id:tidus_tabilog:20210117155325j:plain というわけで、広島県内の日本100名城と続日本100名城のスタンプを全て収集してまいりました。

広島県内の100名城で一番良かったのは、やはり最初に紹介した郡山城です。

城というより、元就公のお墓がとても印象に残りました。もっとも、訪れる際には車で行った方がよいかと思います(笑)

さて、実は100名城以外にも訪れたいところがあったので、今回はそちらにも行って参りました。その場所についてはまた別稿で改めて紹介致します。

それではー!

ANAの旅行サイト【ANA SKY WEB TOUR】

最後までご覧頂きありがとうございました。

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